8月7日(木)…石川(輪島)…1 [日本一周]
お久しぶりです。
ホントいつぶりだろう?
忙しくて全然出来ませんでした。
これからは少しづつやりたいと思います。
でも余り進まないかも・・・
輪島駅
輪島の町並み
朝市 ぽろぽろと出ています。
えがらまんじゅう おいしかったよー
今日はここまで、次回はいつになるか分からないけど、見守ってください。
8月6日(水)…石川(七尾・輪島) [日本一周]
7:12能登食祭市場発
出発前に記念にパチリ
正面から
正面玄関に日本一大きい七輪
(高さ150cm、直径175cm、重さ約1トン)
7:53和倉温泉「加賀屋」
泊まったわけではないですよ…ただ写真を撮っただけです。
湯元の広場
傷を癒す白鷺により発見されたと言う故事にならい2羽の白鷺像が立つ
「桶浦の湯壷」がある。
能登島大橋
能登半島と能登島を結ぶ全長1050mの橋
ここら辺では、ほとんどの家が黒い瓦を使っている。
結構モダンな感じがするね。
土塀の蔵
能登島を一周してもう一つの橋「ツインブリッジのと」でお別れ。
9:45明治の館(室木家)
江戸から明治にかけての豪農、室木家の屋敷。
明治12年から10年ががりで造られた、豪壮な合掌組入母屋造りで、
当時の豪農の生活を知る貴重な遺産。(HPより引用)
海辺に何だか不思議な物がありました…
やぐら上には人影が…
その正体は…
「ぼら待ちやぐら」と言う物でした。
やぐらの上で終日、ぼらの群れを見張り、網をたぐると言う原始的な漁法で、
最盛期には、20基を数えましたが、穴水町でも1996年秋を最後に、
この漁法を行う者はいなくなったそうです。(HPより引用)
11:22能登町のオブジェ
11:45横綱阿武松碑
世界一の縄文土器
高さ約4.5m、重さ5tほどの縄文式の土器が町民総出で製作された。
カリヨンの鐘が時を告げる。ギネスブック公認。(HPより引用)
14:09恋路海岸
弁天島
天然記念物「橋元家のクロマツ」
14:26見附島(軍艦島)
弘法大師が佐渡から能登へ渡る際に見つけたのが、名前の由来。
上の木が髪の毛みたいです。
千年椿
キリコ(切籠)とは、切子灯籠(きりことうろう)と縮めた略称で、奥能登に発祥し、
その後は中能登の方へ伝搬していったもので、中能登周辺ではホートー(奉燈)
とかオアカシ(御明かし)と称するところもあります。(HPより引用)
ちょうど、今日は「珠洲まつり」だった。
ものすごく大きい提灯。
ジオラマ見たいな風景です。
15:55揚浜塩田
珠洲の仁江海岸ではただ1ヵ所、昔ながらの製塩法として知られる
「揚げ浜式製塩法」を続けています。
大きいかまどでグツグツ濃縮されています。
奇岩
多分海からの潮風で削られているんだと思う…。
自然の力って凄いね
垂水の滝
近づいて真下から
千体地蔵を見る為に山を登る…
真ん中に見える岩が窓岩。岩の中央が開いている。
ズームしたら…
千体地蔵
岩の上に地蔵様がいっぱいいる。
17:18上時国家
江戸後期(170年前)に、名工「安幸」が28年かけて完成させた巨大民家で、
入母屋萱ぶきの大屋根の高さは18メートル、正面玄関は総欅の唐破風造りになっています。(HPより引用)
多分「琵琶法師」かな?
黒瓦の家がいっぱい。
17:43千枚田
本当にここは言葉を失うくらい綺麗だった。
夕焼けと能登半島
キリコのタイル画発見
19:04輪島駅
夜に、駅前の広場で「御陣乗太鼓」の上演があったので見ました。
凄い迫力があった。子供は泣き叫んでいたよ。
記念撮影
もちろん右が本人ですよ
駅の中のベンチで就寝
走行距離159.60km
8月4日(月)…新潟(上越高田)・富山(富山) [日本一周]
8月3日(日)…新潟(柏崎・上越) [日本一周]
7:15新潟県立近代美術館発
お地蔵さんが一杯並んでいたので、思わず
8:00大積の大つつじ
季節が違かったので、花は咲いていないけど、かなり大きかった
琉球つつじの老巨木で、推定樹齢は800年。
まわりに長さ3~4mの枝を分岐して樹勢は旺盛。
8月2日(土)…新潟(新潟・長岡) [日本一周]
7:03朱鷺メッセの寝床を発
今日は新潟放送(BSN)の公開放送(イベント)が新潟市内であるらしく
ちょっと寄って行こうかと思い早朝から会場に行きました。
案の定、写真の様にガラーンとして、早すぎました。
公開放送が始まるまで時間がかなりあったので、
新潟の町をぶらぶら観光することに。
会場になっている万代シティのレインボータワー
かっこいいビル
信濃川
NEXT21
新潟市の中心部に建つ、21階建てのビル。展望ラウンジからは、信濃川の雄大
流れや、飯豊山地、朝日岳を一望することができる。(HPより引用)
7:30白山神社
市街地のほぼ中央に位置し新潟市の発展を見守ってきた新潟の総鎮守。
その名の通り石川県の白山に祀られている女神、白山ひめを新潟の地に祀ったの。
縁結びの神様として知られ初詣は勿論、春、夏、秋祭りに多くの人々が参拝に訪れ
る。(HPより引用)
7:46りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館
信濃川沿いに建つ、新潟市民の文化活動拠点施設。
音楽、演劇、能楽堂の3つの専門ホール等を備えている。(HPより引用)
8:00新潟県政記念館
明治16年3月に県会議事堂として建設された建物が当時のままの姿で公開されて
いる。信濃川をイギリスのテムズ川に見立てて、英国国会議事堂を模して設計され
たという木造建築。
モダンな擬洋風建築の外観、ギヤマン窓、漆喰彫刻などが、明治の雰囲気を今に
伝えている。館内では建物の説明や県政の資料を展示。(HPより引用)
道路の脇には大きな松の木があった。
聞いているラジオから公開放送の始まりが流れてきたので、
会場に向かいました。
このイベントはテレビとラジオの同時放送というなんだか不思議な番組らしい。
ステージには芸能人らしき人がオープニングで集合していた。
朝来たときは全然だったけど、
今は…
フリーマーケットとかスポンサーのテントがいっぱいあった。
山崎パンのテントでは合言葉を言ったら300円でパンをレジ袋に
詰め放題になるらしく、早速、合言葉を言ってパンを詰めまくりました。
3食分くらいは詰めたかな…。
戦利品もゲットした事なので、そろそろ出発…
出発前に昨日の蜂襲撃の写真をパチリ
右まぶたがまだ腫れてます
そういえば…その時は全然知らなかったけど、ゲストに「スネオヘアー」が
来ていたみたい…。出身が新潟の長岡らしく、公開会場になっている
万代シティにはよく遊びに来てたって言っていた。
10:37新潟ふるさと村
きれいな花壇があった。
雪の滑り台で、子供達がはしゃいでいた。
涼しそーでいいなー。
遠くに見えてきたのが、長岡市にある新潟県立近代美術館
13:27 近代美術館到着
米百俵の群集
ここにもきれいな花壇があった。
何の銅像か忘れてしまった…。
今晩は長岡の花火大会があるらしく、今日は長岡でおわり。
と言うことで、夜まではゆっくり長岡観光。
15:46長岡市郷土資料館
何の木か忘れちゃったけど…大きかったから。
信濃川
そろそろ場所取りをしている人もちらほら…
ってこんなのは序の口
ホントにビックリしたのはこれから
え…
すごい人!!!!!。
やっと空が暗くなってきた。
空が真っ暗になってついに始まりました。
写真に入らない…。
ホント今まで見た中で、一番興奮した花火大会だった。
迫力満点で感動した。
あれだけの観客が花火が終わったら、一斉に帰るんだから、
道路はすごい渋滞になっていた。
でも自転車はすいすい歩道を走る。
花火大会が始まる前に、スーパー銭湯の場所を下調べしておいたので、
早速、お風呂に入りに行く。
今日の寝床は近代美術館の芝生の上に決定。
走行距離108.33km
8月1日(金)…福島(会津若松)・新潟(新潟) [日本一周]
8:25友人宅発
8:59阿弥陀時「御三階」
明治7年に鶴ヶ城が取り壊された時、現在の阿弥陀寺に移されたもので、外観は3階だが、中2階があって実は4階の構造。2階への梯子は上ったら引き上げられる仕組みだったり、階段が「うぐいす張り」だったりと仕掛けが多いようで、密議などに使われたのではと言われている。(HPより引用)
新撰組・斉藤一墓(阿弥陀堂内)
幕臣山口祐治の長男として天保15年江戸にて出生する。19才の時に誤って人をあやめて、京都へ逃げたと言われる。京都にて新撰組に入隊し、三番隊隊長となり、剣技は沖田総司にも劣らないといわれる。池田屋事件や谷さん十郎や武田観柳斎の暗殺や、高台寺党の密偵等で活躍する。
鳥羽伏見の戦いの後は、土方に従い会津入りし、白河の戦いや母成峠の戦いなどに活躍、土方が仙台へ去った後も会津に留まり、会津藩降伏後も会津藩士と共に謹慎。釈放後は藤田五郎と名を改め、松平容保や佐川官兵衛の仲立ちにより、会津藩士の娘、高木時尾と結婚。
警視庁に勤め、西南戦争等を経て、警部となり、退職後は東京女子高師の職員等を勤める。
この阿弥陀寺に埋葬された要因として、妻時尾が、戊辰役戦死者の埋葬に尽力した為であるともいう。(HPより引用)
渋川問屋
七日町通りに面する「渋川問屋」は明治元年に創建された海産物問屋だった処で、最盛期は身欠きニシンの全国の相場を決める程の勢力を誇った旧家。流通が発展し問屋としての営業が成り立たなくなり廃業。のち蔵を改造し、料理旅館として営業を始める。(HPより引用)
今日は晴天で気持ちよく走っていたら、
突然、何かが目にぶつかって来てビックリ!!
虫がぶつかって来たみたいで、まぶたに何か刺さっている。
自転車を止めて、鏡で見てみると、なんだか蜂の針っぽい!!
蜂に刺された事が無いので、断定できないが、それにしても針らしい。
公園を探して、水道でまぶたを冷やす。
すこし腫れぼったくなったけど、大丈夫そうなので、再び走りだす。
のどかな田園風景
会津の民芸品と言えば…
やっぱり「あかべこ」でしょう。
巨大あかべこに別れを告げて、いざ新潟県へ…
12:21阿賀物語村 狐の嫁入り屋敷
阿賀野川
琴平(こんぴら)清水
津川町の市街地には、数多くの清水が点在している。町が発行した津川水先案内によれば、約50カ所の清水があり、町おこしの一環として整備されている。「琴平(こんぴら)清水」は旧若松街道を少し入った路地にあり、石垣と民家の竹の塀に囲まれて落ち着いた風情を見せている。石の水槽の上には水神様が祀られている。水槽の底は丸く擦り減って、この水が古くからの生活水であったことを物語っている。(HPより引用)
13:08三川村の将軍杉
平等寺薬師堂
平維茂にちなんで建てられた寺で、その薬師堂は県内最古の木造建築。国の重要文化財に指定されています。(HPより引用)
阿賀野川のライン下り
13:38
道の駅「阿賀の里」
越後府矢倉
14:55水原の白鳥飛来池
15:01水原代官所
1746年(延享3年)に、幕府直轄領として、水原城館跡に代官所が設置され、初代代官として内藤十右衛門が着任しました。(HPより引用)
15:43亀田総合体育館
15:55新潟スタジアム
16:08天寿園
悠久の歴史と伝統にはぐくまれた華やかな中国庭園と、四季折々に風情のある日本庭園です。
16:43新潟駅
17:25朱鷺メッセ
万代橋を渡って信濃川の反対側へ
朱鷺メッセの全体を撮影
17:57旧税関庁舎
再び陽が落ちた万代橋へ…
今日の寝床は朱鷺メッセの芝生の上に決定。
近くには岩のモニュメントが光を放っていました。
走行距離145.97km
7月31日(木)…山形(米沢)・福島(喜多方・会津若松) [日本一周]
7:17上杉博物館発
今日は辞めた会社の友達の実家に泊まらせてもらう約束をしていたので、
野宿の場所を探さなくていいって事でちょっと安心。
7:23酒造資料館 東光の酒蔵
http://www.tokonosakagura.com/
7:26米沢織物歴史資料館
http://www.dewa.or.jp/yoneori/
7:27染物処 山形屋
昔ながらの白蔵がある。
7:30九里学園 レトロ感が良い!!
http://www.kunori.jp/
7:42旧米沢高等工業学校本館
レロトなお城みたいな建物
http://www.yz.yamagata-u.ac.jp/campus/juubun.html
7:56上杉家墓所
8:34田沢道の駅
山の中のダム
10:30喜多方駅到着
観光馬車
11:02会津桐工芸館
建物の前に積んであるのは下駄です。
11:17新宮熊野神社
喜多方市からちょっと離れているけど、観光案内に載っていてので、
見に行きました。入場料がかかるので、裏から覗きました。
1089年に造宮され、拝殿の長床は鎌倉初期に建立された。直径約45cmの太い円柱が44本5列に並び、すべて吹き抜けで、茅葺き寄せ棟造りの建物。当時は神楽等の祭礼が行われた。2001年に宝物殿が完成し、文化財として多くの什物が保存され、県指定の重文の木造文殊菩薩像や国指定の重文の同鉢等もある。(HPより引用)
大イチョウ
長床
新宮城址
再び喜多方に戻ってきて観光始め!!!
11:37喜多方市美術館
http://www.city.kitakata.fukushima.jp/bijyutsukan/
喜多方蔵の里
旧冠木家蔵店
もとは呉服商の店蔵で、三方に下屋が取り付いた特徴的な外観を持っています。明治初期の建築と推定されていますが、江戸期の店蔵の形式をとどめています。(HPより引用)
旧外島家住宅
江戸初期から幕末まで郷頭を務めた外島家の住宅で、主棟および曲がり棟の創建は明和8年(1771)との記録が残っています。(HPより引用)
旧手代木家住宅
江戸後期から明治初期まで、下三宮村の肝煎を務めた手代木家の住宅です。異色ある間取りや鍵型に曲げられた造りなど江戸後期の形態をとどめています。(HPより引用)
旧東海林家酒造蔵
大正12年に建てられたこの蔵では、かつての銘酒「白山」が醸造されていましたが、昭和7年「夢心酒造」が譲り受け、倉庫として使われてきたものです。(HPより引用)
機関車と記念撮影。
三津谷の登り窯
喜多方と言えばやっぱり…
「喜多方ラーメン」でしょ。って事で観光ガイドに載っていた一軒に行く。
中には有名人の色紙が壁一面に貼ってあった。
左上端は王監督かな!?
とりあえず普通のラーメンを注文。
ん~。普通だ。味もまー普通。でもおいしく食べたよ。
お腹もいっぱいになった所で、喜多方を後にして会津若松へ…
途中で後ろのタイヤの空気が急に無くなって、パンクになってしまった。
とりあえず水がある所をさがし、パンクの修理。
小さな神社があったので、水桶から水を拝借。
パンクの穴を水をかけながら探す。水が弾ける所が原因の穴。
パンクを直して再び会津若松へ…
16:00飯盛山
白虎隊の銅像
さざえ堂
http://www.linkclub.or.jp/~hiro335/a_map/fukushima_01.html
飯盛山の上
白虎隊の墓
こんな銅像もあります。
「白虎隊士石像がのぞんでいる方向が鶴ヶ城です。」
…っと言うことで、見てみると。
真ん中に棒が合ってその真ん中あたりに鶴ヶ城があります。
飯盛山から降りて鶴ヶ城へ向かう。
長門屋
一階にはオイシー駄菓子が所せましと並べられ不思議な雰囲気に満ちています。
2階は昔懐かしい「会津駄菓子資料館」を併設しています。
今となっては、モノスゴク懐かしく、珍しいモノが沢山展示してあります。(HPより引用)
17:01鶴ヶ城
廊下橋
廊下橋は本丸から二の丸へ通じる朱塗りの橋で、加藤明成の大改修まではここが大手口でした。葦名時代には屋根のついた廊下造りだったので、廊下橋と呼ばれました。
この橋の両側の石垣は長さが130メートル、高さ20メートルを超え、東日本では最大規模で、「忍者落とし」と呼ばれています。(HPより引用)
廊下橋から天守閣が少し見える。
天守閣
茶室麟閣(りんかく)
千家ゆかりのお茶室「麟閣」
天正19年(1591)千利休は豊臣秀吉の怒りを買い死を命じられました。秀吉の怒りが千家一族に及び利休の茶道が絶えるのを惜しんだ、時の鶴ヶ城主「蒲生氏郷」は、利休の子少庵(しょうあん)を会津にかくまい、千家の再興を願いでたのです。この恩義に報い少庵が建てたのがこの「麟閣」です。その結果、少庵は許され、京都へ帰り千家を再興することができたのです。 (HPより引用)
干飯櫓
鉄門
鉄門は帯郭から本丸へ通じる表門で、柱や扉の木の部分を全て鉄で覆ってあるので、この名がつきました。加藤明成の大改修によって造られた門で、左右の石垣は化粧たがね入り、切込ハギと呼ばれる技法で見事に築かれており、お城の正面玄関にふさわしい姿です。(HPより引用)
南走長屋
下から眺めた天守閣
鶴ヶ城歴代城主家紋
武徳殿
弓道場
高校生が弓道をやっていた。
17:36会津葵シルクロード文明館
海と陸のシルクロードより集めた美の遺産を展示した、煉瓦蔵の小さな美術館です。
http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/kanko/kanko/shiro/siruku.html
17:40会津葵
上菓子司會津葵は、江戸時代から会津藩に伝わる料理献立書や茶会記の中から読みとったものを、 現代に甦らせ数々の名菓を作る異色の菓子屋です。(HPより引用)
http://aizuaoi.com/
17:41西郷邸跡
17:43会津酒造歴史館
会津清酒・焼酎醸造元「宮泉」の一番蔵を公開、日本酒酒造り、焼酎造りの様子が見れる。
http://www.miyaizumi.co.jp/
17:46会津若松市役所
野口英世青春通り
野口英世の似顔絵が街灯になっている。
観光も大体終わったので、友達の実家に向かう。
家族の皆さんも歓迎してくれました。(多分…)
お父さんの手打ちのうどんをご馳走してくれました。
お母さんがゴマを擂ってくれてました。
おいしいうどんを食べました。
友達の部屋のベットで就寝。
気持ち良かった~
走行距離112.83km
7月30日(水)…山形(山形・米沢) [日本一周]
約2ヶ月ぶりの更新です。
みなさん忘れてしまったころでしょう。
ではさっそく…
8:07天童公園の寝床を発
…でも公園の中を散策。
天童山城址図
この公園は桜の時期に人間将棋と言われるお祭りがあるそうです。
写真はパンフレットです。
階段の上には王将の石碑がある。
公園の中心には人間将棋に使う将棋版がある。…でかい!!
8:17旧東村山郡役所資料館
郷土の歴史を知るのには欠かせない資料館。明治12年、東村山郡役所として建てられ、昭和60年の復元工事で今の姿になりました。明治時代の洋風建築として、県の有形文化財になっています。(HPより引用)
橋の欄干にも王将が!!!
将棋作りも職人さんが丹精込めて作っています。
9:16山寺(立石寺)
山門
芭蕉像
根本中堂
山寺の大イチョウ
霧がかかっていて何か怪しい感じ…
10:37山形駅
13:41文翔館
山形県郷土館(重要文化財「山形県旧県庁舎及び県会議事堂」、愛称:文翔館)は、大正5年6月に建てられました。
県庁舎と議事堂の2棟から成るイギリス・ルネサンス様式を基調としたレンガ造りの建物(HPより引用)
13:49教育資料館
教育資料館は山形市の東、山形北高等学校の隣にあります。元の山形師範学校本館で、ルネッサンス様式の校舎は重要文化財に指定されています。
13:55専称寺
最上義光の二女駒姫は、豊臣秀吉の息子秀次に召されて上洛したが、まもなく謀反の疑いで秀次が切腹、京についたばかりの駒姫も15歳の若さで処刑されてしまう。嘆き悲しんだ義光は1596年、当時天童市にあった専称寺を移築し、愛姫の菩提を弔ったと言われている。現在の本堂は1703年に再建されたもの。(HPより引用)
専称寺の大イチョウ
14:07山形城跡二の丸東大手門
最上義光騎馬像
山形市郷土館(旧済生館本館)
イチイ(キャラボク)
山形城本丸一文字門石垣復原現場
14:47最上義光歴史館
15:08国指定重要文化財で日本最古とされる「元木の石鳥居」
山形の田園風景
17:51常夜灯と休み石
蔵と昔ながらの建物
18:08米沢城祉
舞鶴橋
上杉謙信像
上杉謙信公家訓
上杉鷹山像
伊達政宗生誕之地
上杉神社
米沢市上杉博物館
今日は調度、花火大会が開催されていたので、見に行きました。
米沢市上杉博物館にて就寝
走行距離98.92km
7月29日(火)…山形(酒田・天童) [日本一周]
6:45鳥海温泉郷発
7:55酒田駅
8:05本間家旧本邸
長屋門
白壁が続く・・・
薬医門
酒田三十六人衆宅絵図
8:12旧鎧屋
8:20さんきょばし
さんきょばしを渡ると山居倉庫がある。
立ち並ぶ二重屋根の倉庫
倉庫とケヤキ並木
9:05両羽橋
最上川沿いを走る…天気が悪いのが残念。
10:57道の駅「とざわ」
戸沢村は、内陸と庄内及び太平洋側と日本海側を結ぶ内陸横断ルートの交通要衝として栄えた歴史があり、現在は、俳聖松尾芭蕉と曾良のたどった足跡を日本三大急流最上峡舟下りとして甦っております。
「モモカミの里」として設置された「道の駅とざわ」は、休憩、休養機能や道路状況の案内及び本村や韓国の民族文化、観光などの情報発信施設及び各種交流、さらには韓国の物産、地域の特産物などの展示販売、食文化館では、日本風にアレンジされた韓国料理を楽しめます。
(HPより引用)
11:55新庄市のスーパーで昼食
15:19道の駅「むらやま」
反対車線を走っていたおじさんと一緒に記念撮影。
日本一周をしていると言ったら、
家に泊めさせてくれると言ってくれた。
おじさんは三重県の伊勢市から走りに来ていました。
これでまた一つ楽しみが出来た。
15:46東根大ケヤキ
東根小学校(旧東根城跡)の校庭に樹齢1500年以上と推定される国指定特別天然記念物のけやきの巨木があります。
16:41道の駅「寒河江」
イスラム様式の建物が目を引くのは「トルコ館」。トルコのギレンス地方がさくらんぼの原産地であることにちなみ、建物にはトルコの大理石・タイル・金具で装飾を施し、館内には陶器やガラス、銅製の工芸品などを展示。
(HPより引用)
将棋の町「天童市」に到着
武内王将堂…店内には将棋に関する商品がいっぱい。
天童市内には将棋のモチーフがいっぱいあった。
歩道には…
詰め将棋
標識には…
王将!!
お店の看板も…
駒の形!!!!
今日は雨が降っていたので、寝床探しが大変だった。
天童公園の展望台で就寝。
走行距離
153.85km